近藤よう子(漫画)「説経 小栗判官」:現代の絵草子にみる日本人の情念

 昔の日本人の死生観を知りたいと思っていましたら、説経節の「小栗判官」に行きあたりました。

 説経節とは、中世から近世にかけて行われた語り物で、仏教の説経から始まり大道芸として発達したそうです。「小栗判官」は貴種流離譚であり、浄瑠璃や歌舞伎の題材にもなっています。

 

 「小栗判官」のストーリーは現代人からすると荒唐無稽に思われることでしょう。しかしながら、そこに込められた情念の世界が除霊の際に霊の共感を得るのに大切なのです。

 

 説教節「小栗判官」の原文は古文でとっつきにくいのですが、近藤よう子さんが見事に漫画で表現してくださいました。

  近藤よう子氏は1957年生まれの漫画家。高校生の時、高橋由美子氏と同じ漫画研究会に入っていたそうです。彼女は「説経 小栗判官」を1990年に出版しました。私はちくま文庫版を持っていましたが、2015年にKADOKAWAからひと回り大きい新装版が出たので購入してみました。

 この作品のシンプルな線で描かれた絵柄は静謐な雰囲気を醸し出していて、まるで絵草子のようです。小栗判官の説経の世界が情感を込めて完璧に漫画化されており、誠に素晴らしいと思いました。

 

【登場神仏】

京都・鞍馬寺の毘沙門天

千手観音

閻魔大王

熊野権現

 

【あらすじ】

美濃の墨俣八幡の御祭神は神になられる前は人間でした。その人間であった頃の物語です。 

 

第一章 申し子

 主人公・小栗は二条の大納言の息子であり幼名を有若(ありわか)といいました。有若は、二条の大納言の妻が鞍馬の毘沙門天に願掛けをして生まれたので、、毘沙門天の申し子と言われました。有若は元服して常陸小栗と名を改めました。

 

 小栗はわがままであり、両親が妻を娶らせようとして様々な姫を呼び寄せてもことごとく難癖をつけて追い返してしまい、その数は72人にもなりました。

 

 

 そんなある日、小栗は良い妻を授かりたいと鞍馬詣りをすることにしました。途中、深泥ケ池(みぞろがいけ)で女人を恋うる笛を吹いたところ、深泥ケ池の大蛇がそれを聞いて小栗に惚れ込み、娘に化身して鞍馬寺で小栗に近づきました。そして小栗は夜な夜な深泥ケ池に通い大蛇と契るようになりました。

 小栗と大蛇の逢瀬は都人の噂となり、父の大納言は小栗を妻の領国の常陸の国に流すことにしました。

 

第二章 照手(てるて)

 常陸に流された小栗は毘沙門天の申し子ということで常陸の侍の大将となりました。

 

 

 ある日、小栗は相模の国の行商人、後藤左衛門と会いました。妻にふさわしい美人がいるかと聞かれて、後藤左衛門は武蔵・相模の守護代・横山の娘、照手がふさわしいと答えました。照手姫は日光山詣りの際に照る日月に願掛けをして生まれた、日月の申し子であるといいます。小栗は後藤左衛門に仲介を頼み、照手姫への恋文を託しました。その恋文は達筆で和歌の教養にあふれたものでした。照手小栗の手紙を読み、横山一門は知らず姫一人が承知したという内容の返事を書きました。

 

 

 家来たちは横山に使者を送って一門の了解を得るように忠告しましたが、小栗はこれを無視して、よりすぐりの屈強な家来十人を連れて、強引に照手姫のところに婿入りをしました。そして二人は仲むつまじく暮らしました。

 

第三章 鬼鹿毛

 横山は小栗の婿入りを知り、強引な婿入りのやり方に怒り、息子たちに意見を聞きました。長男の家継は、小栗と家来達をたやすく討てないので、そ知らぬふりをして小栗を婿に取り、味方につけるように進言しました。しかし、横山の怒りは収まりませんでした。三男の三郎は、小栗を酒の席に呼び出し、芸を所望し、人喰い馬の「鬼鹿毛」に引き合わせて小栗を喰わせてしまう策を出し、それが採用されました。

 

 早速使者が出され、小栗は家来たちとともに酒宴に参加し、芸として馬術が所望されました。小栗は馬屋で鬼鹿毛と対面しました。鬼鹿毛はエサになる人間が連れてこられたと思い、いきりたちました。

 

 小栗は人喰い馬鬼鹿毛に宣命を含めました。「人もおまえも命あるものぞ。命あるものが命のあるものを喰って後生がどうなると思うか、鬼鹿毛よ。今だけは面目を施すために一馬場だけ乗せてくれ。」そして鬼鹿毛が死んだら馬頭観音として祭ることを約束しました。すると鬼鹿毛は涙を流して前足の膝を曲げました。鬼鹿毛は大人しく小栗に従い、小栗は鬼鹿毛にまたがり様々な曲乗りを見事にこなしました。それを見て横山は悔しがりました。すると、三郎が悪だくみをして横山に小栗達を再び招くように入れ知恵をしました。

 

 照手姫は不吉な夢を見ました。鷲が家宝の唐の鏡をつかんで飛び、鏡が三つに割れて三分の一は奈落に沈み、中の三分の一は粉々に砕け、残った三分の一は鷲によって持ち去られました。また、小栗が大切にしている鎧通し(短刀)が鍔本から折れていました。小栗の村重藤の弓が墓場の土饅頭に刺してありました。小栗と家来たちは白装束となり、小栗は葦毛の馬に後ろ向きに乗り、たくさんの僧侶に囲まれて去ってゆきました。これは葬礼の夢なので横山の招きに応じないようにと照手姫は頼みましたが、小栗は気にせずに出かけて行きました。

 

 そして、酒宴の席で小栗と十人の家来達は毒の酒を飲まされて殺されてしまいました。

 

第四章 常陸小萩

 横山は毒殺した小栗達をどのように葬るべきか陰陽師に占わせました。その結果、家来達は火葬にされ、小栗は土葬にされました。

 

次に横山は鬼王・鬼次兄弟を呼び、人の子を殺して自分の子を殺さねば都への人聞きが悪いので、照手を相模川の「おりからが渕」に沈めるように命じました。

 

 照手を不憫に思った鬼王・鬼次兄弟はおりからが渕で照手姫が入った牢輿から重石を切り離し、牢輿のみを海に流しました。牢輿の中で照手は観音に「五逆消滅、種々浄罪、一切衆生、即身成仏」と祈り、牢輿は「ゆきとせが浦」に流れ着きました。

 

 それを発見した漁師たちが牢輿を打ち破ってみると、中に姫がいて涙ぐんでいました。漁師たちはこれは魔物かと櫂で照手をたたいていると、村君の大夫殿が来て言いました。あの姫は魔物には思われず継母にいじめられた姫に見える、自分には子供がいないので養子にしたい。そして大夫殿は照手を連れ帰って養子にしました。

 

 大夫の妻は意地悪な姥であり、照手を色黒にして大夫が嫌うようにしたいと企て、大夫が漁に出た留守に照手を塩焼き小屋の棚に上げて生松葉を焚いていぶしました。それでも、千手観音に守られた照手は白いままでした。腹が立った姥は照手姫を人買いに売り飛ばしてしまいました。帰った大夫は姥が照手姫を売って銭をもうけたことを見抜き、「おまえのような邪険な者といっしょに地獄に落ちたくないわ」と言い出家してしまいました。

 

 照手は人買いにより次々と転売され、美濃の国、青墓の宿、「よろづ屋」という遊女屋の主人に買い取られました。主人は女に女の生まれた国の名をつけて呼んでいました。照手はせめて夫の国の名をつけて朝夕呼ばれたいと思い、生まれは常陸の国と答えました。それで、照手は「常陸小萩」と呼ばれることになりました。

 

 

 照手は遊女になることを強要されましたが、遊女になったら小栗が草場の陰で無念であろうと考え、悪い病気を言い訳にして断りました。主人に遊女になるか、十六人分の水仕事を一人でやるかを選ぶように言われて、十六人分の水仕事の方を選びました。

 

 常陸小萩はよろづ屋で忙しく使われましたが、千手観音の守護により仕事が速くできました。常陸小萩はいつも念仏を唱えていたので、遊女達から「念仏小萩」とあだ名がつけられました。そのような辛い奉公が三年続きました。

 

第五章 餓鬼阿弥

 

  死んだ小栗主従は冥途で閻魔大王の裁きを受けます。

 閻魔大王は小栗を悪人として悪修羅道に落とし、家来たちは主君にかかわって間違って死んだのだから娑婆に戻してやろうと考えます。すると家来は、我ら十人が娑婆に戻っても仇を討つのは難しいが、小栗一人お戻しくだされば我らの分まで仇を討ってくれるでしょう、我ら十人は浄土へなりと悪修羅道なりとお送りくだされ、と申しました。家来の忠義心に感心した閻魔大王は十一人全員を娑婆に戻してやろうと思い、配下の「見る目とうせん」を日本に派遣して十一人の体を確認させました。十人の家来は体がないのでどうしようもなく、閻魔大王は彼らをご自分の脇立ちとして使うことにしました。そして、土葬にされた小栗は体があるので娑婆に戻すことにしました。閻魔大王は藤沢の清浄光寺の上人に手紙を書きました。この者をお渡しするので、熊野の湯の峰の温泉に入れてやってくだされ。浄土から薬の湯をさしあげようという内容でした。

 

 そして、閻魔大王が杖で虚空を打つと、築いて三年たった上野が原の小栗の墓の土が割れて、目も見えず耳も聞こえない餓鬼同然の姿で小栗がよみがえりました! 

 

 清浄光寺の上人は小栗の髪を剃って僧形にし、姿が餓鬼に似ているので「餓鬼阿弥陀仏」と名付けました。そして、小栗が付けていた閻魔大王の判入りの胸札に「一引き引いたら千僧供養、二引き引いたら万僧供養」と書き添え、餓鬼阿弥を土を運ぶ車に乗せ、自ら車をお引きになりました。そして、餓鬼阿弥を乗せた車は様々な人々によって引かれ、東海道を西に上がっていきました。やがて何の因果の縁からか、餓鬼阿弥を乗せた車は美濃の国、よろづ屋の前に三日間止まります。

 

第六章 物狂い

 照手姫は餓鬼阿弥をみかけて小栗とは到底わかるはずもなく、「小栗があのような姿になっていてもこの世にいるならばどんな苦労をしても苦労とは思わない」と言います。そして胸札を読み、一日は小栗の供養に、一日は家来たちの供養に、もう一日は戻るために、合わせて三日の暇が欲しいとよろづ屋の主人に頼みます。最初は拒否していた主人でしたが、照手に熱心に頼み込まれ、もし主人夫婦に大事があったときに照手が身代わりになるとまで言われて、三日のところを五日の約束で暇を取らせました。

 

 いざ、餓鬼阿弥の車を引きはじめた照手でしたが、美しい女が車を引いていると街道の人の話題になり、とてもやっていられません。照手は主人に古い烏帽子を借り、顔を墨で黒く塗り、笹の葉に幣を付けたものを持ち、狂気のふりをして、車を引きはじめます。「えいさらえい、えいさらえい」と車を引いて、西近江の関寺に至り、照手は夜すがら泣いて夜を明かします。

 

 「熊野本宮湯の峰にお入りになって病がなおったならば、お帰りには必ずよろづ屋にお泊りくだされ。なんの因果のご縁だろう。父上のもとで小栗殿と死に別れたのも、今またこの餓鬼阿弥と別れるのも思いは同じ。ああっこの身が二つあったなら! 一つはよろづ屋に戻したい! 一つはこの餓鬼阿弥の車を引いてやりたい! 心は二つ、身は一つ・・・!」

 

 照手は餓鬼阿弥を見送りたたずんでいましたが、急いでほどなくよろづ屋に戻りました。

 

第七章 復活

 餓鬼阿弥を乗せた車は紀州に入りました。坂道となり、車を引けなくなって人々は餓鬼阿弥を見捨てます。そこに山伏たちが通りがかり、山伏は餓鬼阿弥を籠に入れて背負って山を越えました。上野が原を出発して四百四十四日目、餓鬼阿弥はとうとう熊野本宮の湯の峰の温泉に入りました。なにしろ薬の湯なので、七日入れば両目が開き、十四日入れば耳が聞こえ、二十一日入れば物を言うようになり、四十九日目には元通りの小栗へと回復しました。

 

 小栗は夢から覚めた気持ちで熊野三山にお参りしました。すると熊野権現が山人に変身して現れ、金剛杖二本を買えとおっしゃいました。この杖の一本を川に捨てれば舟になり、この一本を帆柱にすればその舟はどこへでも行く、金がなければただでやろうとおっしゃって熊野権現は消えました。小栗は杖を舟に代えて乗り込み、都に帰りました。

 

 修行者の姿をした小栗は生家に行ってみましたが、小栗だとは気が付かれず番人に追い出されました。僧である小栗の伯父がそれを見て、「今日は小栗の命日、修行者を呼び戻して斎料を取らせよ」と言いました。それから小栗は母に再会して、自分は小栗と名乗り三年の勘当を許してくださるよう頼みました。父の大納言は我が子小栗は相模で責め殺されたはず、といぶかります。大納言は我が子なら教えてきた兵法があると言い、修行者が本当に小栗か確かめるために、弓に矢をつがえ小栗に向かって放ちます。小栗は放たれた一の矢を右手で取り、二の矢を左手で取り、三の矢を歯で見事に噛み取って証明を果たしました。

 両親は一度は死んだ我が子に会えたことをたいそう喜び、小栗を連れて帝のもとに参上します。帝はこれをごらんになり、小栗に畿内五か国を領地として与えようとおっしゃいましたが、小栗は美濃一国に替えてほしいと願い、美濃が領地として小栗に与えられました。

 

 小栗は三千余騎の家来を集め、美濃の国に領地入りをしました。小栗一行はよろづ屋に寄り、小栗は常陸小萩に酌をするように主人に申し付けました。主人から酌をするように頼まれた小萩はいったんは断ったものの、今が主人の身代わりになる時だと言われ、いやいや酌をすることにしました。お酌の席で小栗は小萩に自分が小栗であることを名乗り、餓鬼阿弥の時のご恩返しにここに来たと言いました。小萩は自分は常陸の者ではなく本当は照手であることを告白し、今までの境遇を語りました。二人は再会を喜びました。

 

 小栗は十六人分の仕事を照手姫一人にやらせたよろづ屋の主人を死罪にしようとしましたが、照手姫が餓鬼阿弥の車を引くときに三日の暇を五日に増やしてくれた恩を言ったために、主人は死罪を免れ美濃十八郡の総政所を任せられることになりました。喜んだよろづ屋は百人の遊女の中から三十二人をよりすぐり照手姫の女房としてさしあげました。

 

 常陸の国に戻った小栗は七千騎を擁して横山攻めの準備をしました。横山攻めの前日に照手は小栗に横山攻めをやめるように頼みこみました。父母に背く罪を犯しただけでも悲しいのに、父に弓をひくことはできない。横山攻めを思いとどまらないならば、自分を殺してからにしてといわれ、小栗は「それほどまでにいうならば、恩にあずかったそなたに免じて横山攻めはとりやめよう。」と言いました。

  

  横山は手紙でそのことを知り、喜んで黄金十駄に鬼鹿毛を添えて小栗にさしあげました。たくらみをした横山の三男三郎は粗簀に巻いて海に投げ込まれ、照手を売り飛ばした「ゆきとせが浦」の姥は竹で首を引かれて処刑されました。

 

 小栗はこうして仇を討ち、十駄の黄金で寺を建てて鬼鹿毛を馬頭観音としておまつりしました。そうして常陸の国に帰った小栗の殿と照手の姫は二代にわたる長者として栄えました。その後小栗は八十三才で大往生し、小栗殿は美濃の墨俣の「垂井おなこと」の正八幡、照手の姫も十八町下の契り結ぶの神として祭られました。

 

【感想】

人が神になる世界観

  冒頭で、御祭神が神になられる前は人間であったと述べられています。昔の日本人は人が神になることを自然なことと捉えていたようです。

 古事記のストーリーは、大元の神が居てそこから神の子供が次々に生まれ、その子孫が天皇家であるというものです。皇室の先祖の一人である応神天皇は神として八幡神社に祀られています。昔の素晴らしい人が神になるというのは、日本人独特の価値観かもしれません。

 

 人が神になるということは一神教の世界では考えられないことだと思います。イエスはユダヤ教の世界でメシアあるいは神の子を僭称した罪を問われて磔刑に処せられました。一神教では神と人との間には越えられない境があるように思われます。

 

 日本において、人が神として祀られるもう一つのパターンは、恨みをのんで死んだ人が祟らないように神に祀り上げるものでした。全国にある御霊神社(ごりょうじんじゃ)には、怨霊を鎮める目的で建てられたものがあります。

 

 小栗と照手は、なぜ神として祀られる様になったのでしょうか。

 

 小栗は毘沙門天の申し子、照手は日月の申し子ということで、出自からして高貴なのですね。ですが、神として祀られた理由はそれだけではないはずです。

 

祟り霊はなぜ執拗に祟るのか

 小栗主従の毒殺の場面は静かな印象を受けるこの漫画の中ではダイナミックな表現がなされ迫力があります。

 そこで思ったことです。

 祟り霊の強烈なものは、恨む相手の子孫を七代どころか、子孫を根絶やしにするまで復讐します。それほどまでに執拗に祟る理由は何なのでしょうか。

 

 ここにその例があります。

 戦国時代はいろいろと戦いがあり、殺生がありました。

 その際に、卑劣な手段でだまし討ちにされた武士の霊は猛烈に祟るのです。

 正々堂々に戦って武運なく敗れるのは納得しても、だまし打ちは卑怯であり絶対許せない。

そのように思っているのです。毒殺など卑怯なやり方の際たるものです。

 ましてや、自分のみならず、親兄弟や妻子もしくは一族郎党家来等も殺された場合の霊の怒りたるや、半端なくすさまじいものです。

 

 かくして、怨念霊は卑怯なやり方をして害をなした者の一族およびその子孫に恨みを晴らしていきます。子孫の人は自分自身に何ら心あたりがなくても、その一族の子孫に生まれたという因縁によって祟り霊のターゲットにされるのです。

 

地獄の絵について

 閻魔大王が出てくる前のページで地獄の絵が出てきます。出典は熊野観心十界曼荼羅と思われます。漫画では、出てくる罪人達は諦観した表情をしていて、妙に安らかな感じを受けます。

 

 この図に、人面に角が生えた大蛇に巻き付かれている人の姿が描かれています。祟り霊の強烈なものは、まさにこんな感じの人の顔をした大蛇となっていることがあります。何十人・何百人もの祟り霊が合体して大蛇(おろち)の姿となり、祟る人の首に巻き付いていることが多いです。そして祟る者も、祟られる者も、等しく地獄にいるのです。

 

  熊野観心十界曼荼羅は、、六道の世界と四聖界の十界を表したものです。曼荼羅の中央付近(引用した部分図では左上隅)に「心」の一字がありますが、これは十界が心の世界であることを意味しています。

 

 熊野は死と再生を象徴する不思議な場所です。この物語は死者がよみがえり、復活するというものですが、そのような不思議な力が熊野にあると考えられているのです。

 

許すこと

 死からよみがえり体が元通りに回復した小栗は仇討ちの陣を構えましたが、照手姫の懇願を受け入れ、毒殺した相手を赦しました。

 この赦しが小栗が祟り霊になるか神になるかの分岐点だったと思います。

 相手を許せば無条件に神になるかはわかりませんが、少なくとも祟り霊にならないことは確かだと思います。地獄に落ちないためには、恨みを帰して人を許すことが大事です。ここにこの物語のポイントがあると思います。

 

 この物語では悪だくみをした三郎や邪険な姥が死罪になり、勧善懲悪の色合いは残っています。ともあれ、夫婦とも神になり、鬼鹿毛は馬頭観音に祀られて物語はめでたく終わります。

 

 この物語には、もう一つポイントがあります。

 千手観音に頼むと仕事が早くできる、というものです。

 試してみてください。