映画「僕だけがいない街」:子役が最高

原作: 三部けい

監督: 平川雄一朗

キャスト:  藤原竜也(藤沼悟)、中川翼(藤沼悟・少年期)、有村架純(片桐愛梨)、鈴木梨央(雛月加代)、林遣都(白鳥潤)、安藤玉恵(雛月明美)、高橋努(高橋店長)、及川光博(八代学)、杉本哲太(澤田真)、石田ゆり子(藤沼佐知子)

 

誰でも、「あー!やっちまったっ」と青くなるときがあるはずです。

覆水盆に返らず、後悔先に立たず。

そんな時、過去に戻って最初からやり直せたらどんなにいいかと痛感します。

「二度目のパットは誰でも入る」といいます。

人生が二度あれば!

 

私は原作を知らないで、この映画を見ました。

邦画の場合、映画の原作が漫画という例が多いように思います。

この作品の原作の漫画の発想は斬新でいい線をついていてすごく面白いです。

映画では、結末が理不尽で腑に落ちないので、いろいろと考えるきっかけになります。

一般論ですが、原作を知っていて映画化されたものを観る場合は、「映画は別物、原作と別物」という呪文を唱えてから見るといいと思います。

 

【あらすじ】

 この映画では、「リバイバル」という、ピンチの時に時間が巻き戻る現象が起きる人が主人公です。リバイバルが生じると主人公は未来の結果の記憶を持ちつつ、過去にさかのぼってやり直すことができるという設定です。しかし、リバイバルの発生を自分で制御することはできません。また、リバイバルが起きた際に違和感を感じますが過去の何を修正したらいいのかは手探り状態なのです。

 

 一人暮らしをする主人公・藤沼悟の千葉の住まいに北海道から押し掛けてきたシングルマザーの佐知子が刺殺される事件が起こります。母を抱きかかえた際に両手にべっとり血がつきます。近くに潜んでいた犯人を追って見失うのですが、その間に殺人事件の重要参考人として追われる身になってしまいます。

 

 藤沼はピザ屋のバイト先の女の子・愛梨にかくまわれるのですが、結局警察に逮捕されてしまう。その時にリバイバルが起こり、小学生の時代に戻されます。小学生の時に同級生の女の子・雛月加代が殺された事件がありました。その事件では人懐っこい若者・白鳥潤が犯人とされ死刑囚となったのですが、真犯人は別にいて、その真犯人の心当たりがあったために佐知子は殺されたらしいとわかりました。そして、藤沼悟少年は加代が殺されるのを防ぐために奔走するのですが・・・。 

 

【真犯人と結末】

真犯人を何とかしない限りは凶行は繰り返されるのです。

真犯人は巧妙に他人に罪をなすりつけて自分は隠れて犯罪を行います。

これって、まさに祟り霊のやり口に似ています。

 

 映画では、藤沼の母が刺されて、藤沼が犯人に仕立てられました。冷静に考えれば、母を殺す動機がないのだから、犯人にされるとは考えにくいのですが・・。藤沼はリバイバルを利用して同級生・雛月と母の命を救いましたが、真犯人ともみ合いになって藤沼は頚部を切られてしまいました。

もう一回リバイバルが起こることを期待していたのですが、関係者が藤沼の墓参りをするシーンとなって映画は終わってしまいました。勇気ある行動の結末が悲劇であっていいはずがないので、釈然としません。もっとも、映画のタイトルとストーリーとは一致しているのですが。

 

 人を殺したり、人から殺されたりするというのは重い負のカルマです。殺人事件に関係するのも負のカルマ。徳を積むことで負のカルマが軽減されるといいます。主人公は過去に戻って、同級生の命を助けたという徳がある行為をしているのだから、カルマの軽減があってしかるべきです。どうして、主人公が死んでしまう結末にしたのでしょうか。

 

 最後の藤沼の墓参のシーンで、佐知子、大人になれた雛月加代、加代の娘、澤田、同級生らに混じって白鳥潤さんの姿を見たときにちょっと考えが変わりました。真犯人が死んでしまったら、冤罪で死刑囚になった潤さんはそのままだったはずで、真犯人が自供したから冤罪が晴れて墓参できたのでしょう。

 

 リバイバルが無かった場合には、雛月加代と佐知子が死に、潤さんは死刑囚のまま、藤沼は冤罪。リバイバルが有った場合は、雛月加代と佐知子が生きていて、加代に娘が生まれ、潤さんは冤罪が晴れて、藤沼は死亡。両者を比べてみると、負のカルマは軽減しているという計算になります。負のカルマが完全にチャラになったわけではないという結末ですね。作り物なので、その結末が本当に妥当かどうかはわかりません。それで納得できない人は、いっそ結末のシーンをイマジネーションで創造して脳内で好きなように作り変えたらいいと思います。

 

【いろいろな感想】

 真犯人と向き合う場合には、何か対策がいるでしょう。

そういう奴に限って刃物を持ち歩いているのですから。

陰から助っ人がいつでも飛び出せるように準備しておくとか。

 

正義の味方になりたい人のポーズがありました。

仁王立ちになり、左手を握って左わき腹につけ、右手を大きく開いて腕を前に出すというもの。

これは真似をしたらいいかもしれません。

 

この映画のテーマは勇気だと思います。勇気を出して現実を良いものに変えていくのは、今現在を生きる人の特権でしょう。

実際には過去に起きてしまった結果は変えられません。

ですが、過去に向かって何かをしていくことで、結果が持つ意味合いが変わっていくと思います。

 

小学生の子役の演技にはどきどき、うるうるしますね。

子供はあっという間に成長していき、この映画の演技はこの時だけのものです。

主人公の小学生時代のシーンを見るだけでもこの映画を見る価値があると思います。

 

映画を見る時はいつもそうなのですが、脇役に注意しています。

娘を虐待していたDQNの母親役の人とか、ピザ屋の店長役の人や、冤罪をきせられて死刑囚となった白鳥潤さん役の人など、そういう脇役の人達の演技にこころ惹かれます。作品にリアリティーを与えるのは、常に脇役や端役の人達だからです。

 

あと、藤原竜也はイケメンだし、有村架純はかわいいし、石田ゆり子はこんな母親だったら嬉しいし、もういうことなしです。映画を見直して気がついたのですが、藤原竜也の手相は感情線が長くてくっきりと深く刻まれていました。感情表現にとても優れた人だということがわかった次第です。