三部けい氏の原作の漫画「僕だけがいない街」のコミック最終巻(第8巻)が発売になったので、漫画版の感想も書くことにしました。
なお、映画版「僕だけがいない街」は漫画連載中から製作が開始され、最終話を待たずに完成したようであり、漫画とは結末が異なっています。漫画では、八代により車ごと川に落とされた悟は救出され、植物人間状態で長くすごした後に大人になってから意識を取り戻します。リハビリの後に悟は八代と対決するのでしたが、その後も生き続けます。

【トマコマイ感覚】
「僕だけがいない街」は作者の自伝的要素が強い作品のように思われます。少年期に住んだ苫小牧市はこの作品に大きな影響を与えているようです。苫小牧市科学センターやスケートの競争、アイスホッケーの試合などのシーンが作品に描かれていました。
苫小牧の街並みは、本州から新千歳空港に向かう飛行機の窓から左下方に見えます。
苫小牧の海岸線は東北から西南に向かって単調な形で続いています。西北に樽前山がなだらかな山姿を見せ、市街地は平坦で、東南は海です。冬は寒くて雪は少なく、夏は晴れる日が少なくて涼しいです。苫小牧の海で泳ぐことはありません。
苫小牧には製紙工場や自動車工場があり、産業が盛んです。人工の港があり、北海道の海の玄関口です。苫小牧市の人口は17万人です。北海道弁はありますが、北海道の中では比較的訛りが少ないようです。

私は、この作品にトマコマイ感覚を感じます。
絵はシャープな線で描かれ、ベタ黒とスクリーントーンのグレーと余白の白により強いコントラストが出ています。このコントラストは、単調な苫小牧の海岸線を彷彿とさせます。
2月の満天の星空の下で見上げた「クリスマスツリー」のシーンは、冷え冷えと美しく晴れる冬の苫小牧ならではのものでしょう。
連休中に苫小牧市科学センターに行ってみたところ、そこに「僕街」につながる手がかりが見つかりました。

【薄明光線】
私はこの作品を読んで薄明光線のような読後感がありました。
薄明光線とは、曇り空の雲の切れ目から光が差している風景で、天使のハシゴともいいます。
漫画は、殺人事件が出てくる重苦しい内容でそこに一筋の光明が差す感じです。このような感じの小説を前に読んだことがありました。
【ドストエフスキー的】
この漫画から思い起こされるのは、ドストエフスキーの文学作品「カラマーゾフの兄弟」です。
殺人事件があり、真犯人を探す謎解きがあるストーリー。
高潔な魂の人、無垢な魂の人、そして邪悪な人が登場して強烈に対比されます。
そして、高潔な魂の人が邪悪な人によって冤罪をかぶせられます。
子供の虐待に対する憤りあり。
これらは両作品の共通点です。
両作品では、登場人物は、藤沼悟とドミートリイ、愛梨とアリョーシャ、八代先生とスメルジャコフのように対比できます。頭がいい人の対比は賢也とイヴァンですね。
「僕だけがいない街」は「カラマーゾフの兄弟」にも比肩される漫画なのかもしれません。
漫画には冗長なモノローグがあります。最初の方に愛梨が悟に「ピザ、途中で食べちゃダメだよ」と何気なく言うセリフがありました。このセリフのシーンは映画では簡単に流されていたのですが、漫画では悟が執拗に愛梨の心理分析をしているのです。このあたりの粘着質な表現もドストエフスキー的だと思います。
両作品で違いもあります。
リバイバルのようなSF的設定は「カラマーゾフ」には出てきません。
「カラマーゾフ」にはキリスト教の根源に迫る思索があるのですが、「僕街」はその点をスルーしています。
スメルジャコフには憎悪があって、それが犯行の動機として理解できるのですが、八代にはそのような憎悪があるようには思えません。孤独からの解放という動機で人を殺すのは理解不能で不気味です。漫画では八代のエピソードによってそのあたりの事情と異常性を解説しているのですが、映画では省略して正解でした。
「僕だけがいない街」②に続く