映画「世界から猫が消えたなら」:全知全能の悪魔と取引

原作(小説):川村元気

監督:永井聡

出演:佐藤健(僕、悪魔)、宮﨑あおい(彼女)、濱田岳(ツタヤ)、奥野瑛太(トムさん)、石井杏奈(ミカ)、奥田瑛二(父さん)、原田美枝子(母さん)

 この映画は主人公の「僕」が自己の死を意識することで大切なものに気づくというストーリーです。大切なものが一日ごとに消えていきますが、この映画では、そのことは喪失であって執着心をなくすという意味ではありませんでした。

 この作品では、なぜか「僕」にも「彼女」にも父さん・母さんにも名前がありません。猫や「ツタヤ」やトムさんには名前があるのに。

 

【悪魔との取引】

 この映画に悪魔が出てきて、余命が数日と宣告された主人公の「僕」と取引をします。それは、「僕」の大切なものを世界から消すことと引き換えに「僕」の命を一日伸ばすというもの。観客がこの理不尽な設定を受け入れられるかが原作も含めてこの映画作品の鍵でしょう。

 一日の時間なんて、油断をしていたらすぐに経ってしまうもの。個人の一日と世界中の物とどちらが大切でしょうか。主人公、自己中心的すぎないか?

 ただ、悪魔の取引は人の弱みに付け込んだ強引なものでした。そして、世界から消してしまう大切なものは悪魔が指定するのです。また、その物を過去にさかのぼって消し、物にまつわる記憶も消してしまうという遡及法のようなやり方であることはあらかじめ説明されていません。きわめてインチキな取引でありました。

 逆に、この取引は悪魔にとってどんなメリットがあるというのでしょうか。悪魔は世界中のある物をなくして、さらに主人公の命を伸ばさなければなりません。さらには主人公の記憶も書き換え、過去からさかのぼって世界を変えなければなりません。この場合の悪魔の労力はかなり大きくて、全知全能でも足りないくらいです。 悪魔にとって楽なのは、何もしないでそのままでいることだったと思います。

 

【美しい悪夢のような映画】

 原作のどうしようもない軽さをなくすのに、この映画は大健闘をしています。舞台を函館とし、主人公の住まいや父の時計店、映画館、彼女と会う喫茶店、両親と泊まった旅館などにアンティークな場所を使用して映像に重厚感を与えています。市電も古い車両を使いました。

 この映画の映像は美しいです。函館の坂や港の風情がいいです。逆光で輝く函館の海が美しいです。猫はおとなしくてかわいいし。

 ブエノスアイレスの異国情緒あふれる街並みや迫力あるイグアスの滝の風景も素晴らしかったです。

 音楽も映像に合っていてとても良かったです。

 場面場面の印象が非常にいいゆえに、悪魔との取引の設定の件や、主人公の現実と記憶とが入り混じった展開もあって、この映画は私にとって美しい悪夢のようになってしまいました。 

 映画では結局のところ悪魔は脳内のもう一人の自分というオチで、こじんまりとまとまっていました。この点では破天荒な原作のほうが好感が持てました。

 

【人の運命をもてあそぶ】

 映画人は映画の中では創造主であり、時として登場人物の運命をもてあそびます。

 「僕」と「彼女」は一度アルゼンチンへ海外旅行に行きました。彼らは現地で世界中を旅している日本人の若者・トムさんに出会いました。彼らはトムさんと親しくなり、いろいろな所を案内してもらいました。この映画でトムさんは「生きてやるーっ。生きてやるぞうーっ。」と叫びます。しかし、「僕」と「彼女」と別れを告げた直後にトムさんは自動車事故であっけなく他界してしまいました。

 主人公は過去に母を病気で亡くしています。そして、今回は主人公に死が宣告されています。登場人物を安易に亡きものにすることで映画がお涙頂戴になっていないか、引っかかるところです。

 生死を扱うドラマの場合、製作者が死生観をきっちりと決めておかなきゃいけないと思うのです。

人間死んだら終わりなのか。死んでもあの世があるのか。死んであの世がある場合には、また人として生まれ変わることがあるのか、ないのか。そういう前提次第で物語の説得力が増したりナンセンスになったりすると思います。

 

 「あるものを得るためには、あるものを手放さなければならない」という一増一減の考え方が出てきました。そして「いらないものは消してもいい」という考え方も。

 

 アルタイルの守護霊によれば、宇宙には何の役に立つかわからないものをいろいろと創造している人たちがいるそうです。創造は宇宙の本質なのだと。

 

【どうやって撮った?】

 初めの方で主人公が自転車から後上方に飛んでバク転するシーンがありました。あれはどうやって撮影したのでしょうか。また、この映画で「僕」と「僕そっくりの悪魔」が出てきますが、佐藤健の一人二役でした。その悪魔が投げた携帯電話を「僕」がキャッチするシーンがありました。これもどうやって

 撮ったのか謎です。

 

【最後に見るべき一本の映画は?】

 「僕」が最後に見るべき映画を「ツタヤ」に尋ねましたが、結局決まりませんでした。人それぞれに答えがあるでしょうが、この映画で勧めているのは、どうやらチャップリンの「ライムライト」であるように思えました。

 

【俳優は】

 主演の佐藤健はあらあらしい強さを感じさせる俳優だと思います。タケルという名前の言霊がそうなのでしょうか。日本の強い神様は御名前にタケという言葉が入りますし。彼は前髪をあげると強さが出てくるので、今回の映画の役で前髪をおろして役作りをしたのはよかったと思います。猫との相性も良かったと思います。

 宮﨑あおいがイグアスの滝の圧倒的な水量をバックにして涙ぐみながら「生きてやるーっ」と叫ぶシーンには感動しました。また、彼女は函館のレトロな雰囲気とすごく合っていたと思います。

 トムさん役を演じていた奥野瑛太は日焼けしていて逞しくて、海外慣れした日本人の存在感を見せるとともに、刹那的な生き方もうまく表現していたと思います。苫小牧出身と知って親しみがわきました。

 「僕」と映画愛好の趣味でつながっている友人の「ツタヤ(タツヤ)」を演じた濱田岳は映画マニアの雰囲気を良く出していました。「僕」が別れを告げたときの感情表現はすごく良かったです。

 石井杏奈は「ツタヤ」が働くレンタルビデオショップの店員役でちょこっと出演していました。 

 感情表現が不器用な職人気質の時計屋の父さんを演じた奥田瑛二、けなげでやさしくて猫好きな母さんを演じた原田美枝子、二人とも古い時計店とよくマッチしていてさすがでした。ピンぼけの写真を撮るときの家族のシーンは忘れえぬものでしょう。