ディベートの真髄

 今回は理屈っぽい話です。

 

【問題点を考えるときの偏り】 

 人はいろいろな問題点について考える際に、「まず結論ありき」で考えていることが多いです。それらの結論は必ずしも直観から出たものではなく、個人の経験や好き嫌いが元になっていて、往々にして偏見や思い込みで彩られており、人真似であったり、思考停止している場合もあります。そのようにして、問題点に対して偏った結論が導かれていきます。

 

【議論できるか】

 このような問題点を考える場合に人の意見を聞いてみるのは有効な方法です。さらに突っ込んで人と議論するのは良い方法ですが、往々にして議論にならない人がいます。

 たとえば、エゴが強すぎる人は議論に向きません。そういう人は、何か反対意見を言われると、その内容を吟味することなく失礼だとか言い出してそこからはもう話になりません。固定観念が強すぎる人も議論に向きません。「ここはこういう風にするもの」と話をすませてしまい、なぜかという理由を追求することがありません。固定観念が強くてエゴも強いと、もう人の意見に耳を貸しません。

 

 議論をするのにも、ルールというか素養がいると思われます。それは、人の意見をよく聞き、それに対して冷静に答えを返せることです。自分のエゴを離れて客観的に問題を考えられることです。

 

 議論に日本人は向いていないのではないか、と思うことがあります。欧米人と比べると普段から議論することなく、空気を読んで「なあなあ」で済ませていることが多いのではないでしょうか。

 

【ディベートとは】

 今回は知的な議論の技術としてディベートを取り上げたいと思います。このような技術を知ると議論が身につきやすいのではないでしょうか。ディベートというと詭弁術のように思われている風潮がありますが、本来は公正な判断を下すための手段として使うものです。

 

 ディベートは討論と訳されますが、一種のロールプレイングゲームです。二つのチームに分かれてあるテーマに対して対立する立場をとり、討論をします。そして第三者の審判により判定が下されます。

 たとえば、ある問題について肯定側否定側に分かれます。肯定側は基本的な立場を表明し立論します。それに対して否定側が質問をして突っ込みを入れます。次に否定側が立論をして、これに対して肯定側が質問をします。そしてチームで相談をして質問に対して反駁する内容を考えます。それから、否定側が反駁し、次に肯定側が反駁します。最後に審判によって審査を受け、どちらのチームが議論に勝ったか判定が下されます。

 

 もちろん、ディベートを支えるのは論理です。主張をするにあたっては、まずデータがあり、そのデータに理由づけをして論拠とします。

 

【ディベートの効用】

 ディベートは役割のゲームなので、チームが採用する立場や意見は必ずしも個人の立場や意見と一致するものではありません。そして面白いことには、ディベートでは肯定側と否定側が入れ替わって再び討論するのです。そうすると、その問題についてより正しく把握し深く考えている方が勝つことになります。

 

 ディベートの手法は意思決定の際の参考として使うことが可能です。勝った側の立場をそのまま採用するのではなく、討論の過程で出てきた考え方を参考にするということです。

 ディベートの際に個人的な考えに固執せずに、変幻自在にその立場を変えて人にアピールする技術は、白を黒と言い黒を白と言う印象を人に与えることでしょう。

 

 ディベートの技術に関連して、議論において悪魔の代弁者(devil's adovocate)という役割があります。これは、議論を充実させるために故意に反対の立場を取る人のことです。この悪魔の代弁者がいるからこそ、議論に漏れがなくなるのです。しかしながら、日本においては議論の文化が根付いていないために、議論の際に悪魔の代弁者の役をやる人は、善意からそうしていても結局憎まれることになりがちです。

 

 ディベートは「まず結論ありき」の結論を根底から疑うことを可能にします。立場を変えて論理的に考えることで、偏りや穴がない結論に結び付きやすくなります。

 ディベート自体はチームで行うゲームですが、ある問題に対して一人でディベートを行うことも可能です。すなわち、自分で肯定側と否定側に交互に立って問題点について討論してみるのです。もちろん、自分で悪魔の代理人役もやるのです。

 人は問題点を自分に都合がいいように勝手に解釈する傾向があります。ディベートの柔軟な考え方は、そのような考え方のバイアスをなくすのにも役立つでしょう。