白隠禅師「延命十句観音経霊験記」を読む

伊豆山格堂 著 (春秋社)

 

 白隠(1686-1769)は江戸時代の臨済宗の傑僧。何度も大悟した霊格が高いお坊さんです。白隠禅師はいくつかの仮名法語を残しています。その中に延命十句観音経霊験記があります。紹介した本には白隠禅師の文章および現代語訳と経文の詳細な解説があります。

 

【延命十句観音経】

 延命十句観音経とは、「観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁 仏法僧縁 常楽我浄 朝念観世音 暮念観世音 念念従心起 念念不離心」 という短いお経です。

 読み方は「かんぜーおん なーむーぶつ よーぶつ うーいん よーぶつ うーえん ぶっぽうそうえん じょうらくがーじょう ちょうねんかんぜーおん ぼーねんかんぜーおん ねんねんじゅうしんきー ねんねんふーりーしん」です。

 

【霊験の例】

 白隠禅師は、この十句観音経の持つ功徳をさまざまな霊験の実例をあげて示し、この経を唱えることを勧めました。例を簡単にご紹介しましょう。

 

●この経により死を免れたこと

 中国東魏孫敬徳、中国晋の王玄謨、江戸聖坂左官の妻

●この経により病気平癒したこと

 三条の町家某の妻、癲狂の武士が平癒、美濃の盲童が目明く、江戸岡田氏の息子

●この経により蘇生したこと

 駿河手越のお蝶、伊豆のお床、駿河の若者

●この経により難を逃れたこと

 里介

●この経により死霊の障りを免れたこと

 播州の少女お綾

●この経により死霊が救われたこと

 黙照座禅の僧

 

駿河手越のお蝶の話

 中でも興味深いのは駿河のお蝶の話です。

 容色も気質も優れた14才の娘お蝶がふと患いだして十数日で急死してしまいました。父母はお蝶をたいそうかわいがっていました。母の悲嘆ははなはだしく、娘を泣きながら抱いて離さないこと二夜三日、すると身体が次第に暖かくなり、なんとお蝶は蘇生したのでした。お蝶が語るには、十句観音経の功徳で蘇生したというのです

 

 お蝶は冥土に赴き、死出の山を越え、真っ暗の広い野原に出ました。ここに何百人もの泣き叫ぶ声が聞こえ、かなたには猛火が燃え上がる炎が見えました。ここで途方に暮れていたところ、十歳ばかりの影法師のような小法師が小声で十句経を読みながらすれ違いました。お蝶も十句経を繰り返し読んだところ、心身ほがらかになり、周りが明るく見えるようになりました。見渡せば野原に恐ろしい犬どもが伏していて、罪人達が暗闇で見えずに犬にのぼると、犬が罪人に咬みつきふせる、その罪人達の泣き叫ぶ声が聞こえました。

 

 お蝶は焼熱・叫喚・黒縄・紅蓮などの地獄の難所を何の恐れも障害もなく過ぎて行き、閻魔庁の城門の前に着きました。冥官がお蝶を閻魔大王の前に引き出します。閻魔大王が罪簿をめくらせ、お蝶の一生の善悪を調べさせている最中に、さきほどの影法師のような小法師が出現して、たちまち観音様に変わりました。観音様が閻魔大王に対して「この女子は不思議な縁があり、ひたすらに十句経を唱えており、その功徳ははかりしれません。寿命もまだ尽きていません。なにとぞ、この女子を人間界に連れ帰って、無知の衆生に十句経の功徳を知らしめ、地獄の苦しみのありさまを語らせて衆生に善行をつとめさせたいと思うがいかがでしょうか」とおっしゃると、閻魔大王は手を合わせて「観音様の慈悲のお言葉にどうして背きましょうか。とにもかくにも御心にお任せいたします」と言いました。

 

 お蝶は観音様の後に従って八大地獄を見て回りました。焦熱・無間の地獄では四面がみな猛火で、その中で貧賤下級の者に混じって、高位高官や高貴な人々が泣き苦しんでいる様は見るもいたわしいものでした。また、一所を見ると大空谷がありその中が真の暗闇でした。そこは黒縄地獄という所でした。その中で苦しんでいたのは僧や尼、在家の信者たちでした。中でもひときわ目立つのは、尊い高僧たちが黒い縄で縛られて逆さに吊るされて泣き苦しんでいるところに獄卒どもが襲いかかり口々に責めて言うことで、「汝らの邪見でこのような所に追い込められて永劫の苦しみを受けるのは自業自得で仕方がないが、在家の無知の者どもに邪法を説き教えて罪なき者どもをこのような所に引き落とすことは、みな汝らのせいではないか」と呵責する声を聞くのも恐ろしいことでした。

 

 お蝶が「これは何の罪障でこのような苦しみを受けるのでしょうか」と問いますと、観音菩薩は「たまたま受けがたい人身を受け、逢いがたい仏法に逢い、僧の身となることは前生の善因縁のためなのに、末代の悲しいことに、三百年来正しい仏法は滅び、邪法は潮が湧くように誤る上に誤り、邪師は蟻がうごめくほどに多いのです。彼等は弟子たちにこのように教えます。強いて仏を求め法を求めてはいけない。ただ一日中無念無心にせよ。無念無心であればすぐにその身そのまま仏である。用心して一切善悪の事に手出しするな。座禅観法も手出し、礼拝恭敬も手出し、写経も解説も手出し、参禅工夫も手出し、ただ日々空々として暮らせ。ここにおいてろくでなし坊主どもは飽食暖衣し、むなしく日々大きな図体を並べて眠り、精神は暗闇の深い穴です。彼等が死後には必ず黒縄地獄に落ちて黒い縄で大黒暗の中に吊るされ無限の苦しみを受けるのはもっともなことです。なぜかというと、彼の一生は悟るでもなく迷うでもなく、善でもなく悪でもなく、胸中には八識無明の阿頼耶識を抱き、口には常に無念無心を唱えているからです。形は声聞で口には常に虚無の大悪法を説いて、多くの在家の男女を教え誤り、ことごとく外道無知邪見の輩とします。その罪は五逆の重罪と同じです。あなたは人間世界に帰ったら、これらの事情をよく覚えて、親族や心ある人々に語り聞かせ、罪障ある人は地獄で苦しみを受けることを知らせ、来世あることを恐れしめ、もろともにつとめ励んで菩提・悟りを求めさせなさい。この十句経を怠ってはいけません。あなたが人間世界に立ち帰るのもこの経の威徳のたまものです」と言いました。そして観音の姿が消えうせるとお蝶は正気づいて母の懐に抱かれて寝ていたのでした。

 

【お蝶の話の感想】 

 この話は、臨死体験といえるでしょう。臨死体験は脳が死に瀕して脳内麻薬を出すときに見える幻覚だという意見がありました。ところが、米国の脳神経外科医のエベン医師が自らの臨死体験を基に死後の世界が実在することを主張しました。それによれば、臨死状態の時に見たことは脳の幻覚では説明がつかないそうです。

 また、火焔が渦巻き怪物がいる地獄の存在については、クリスチャンの米国人の証言もあります。

 地獄の存在について、白隠禅師がたばかったとはその人柄からは考えにくいです。また、白隠の時代はたかだか三百年くらい前であり、その間に霊界の構造が大きく変わったとも考えにくいです。

 したがって、死後の世界は存在し、地獄も存在するといえるでしょう。

 

 白隠は地獄に落ちた「立ち枯れ禅」の僧侶についてかなり力を入れて書いています。僧侶といえば聖職者であって地獄には落ちないと思っていたので、私にとって衝撃的な内容でした。

 白隠は臨済宗の僧です。本証妙修、只管打坐曹洞宗道元の主張です。それは、本来悟っている立場で修行すること、(悟りを求めたりせず)ただひたすら坐ることの意味です。お蝶の話の観音の言葉には黙照禅に対する白隠の批判が含まれているのではないでしょうか。

 

 それはともかく、白隠禅師はありがたいお経を教えてくれました。法華経の中の観音経は長いので覚えるのが大変ですが、十句観音経は短くてとても覚えやすいです。十句観音経を覚えていつでも唱えられるようにしておけば、地獄に落ちても安心です。

 若かりし頃、白隠さんに何か一筆書いてくださいとお願いして、無心になって筆ペンを手にとったら、こんなんになりました。

 

 若気の至りです。あははははー。