映画「ハドソン川の奇跡」:機長の決断をもたらしたもの

クリント・イーストウッド監督

出演: トム・ハンクス(チェズレイ・サレンバーガー)、アーロン・エッカート(スタイルズ)、ローラ・リニー(ローリー・サレンバーガー)

 

 実話を題材にした、この映画はとても素晴らしいです。そして涙なくして見られないものです。本当によくぞこのようなすごい作品が撮られたものだと驚嘆しました。1時間36分と短い上映時間ですが、まったく無駄がなく、一瞬も目が離せない作品に仕上がっています。サレンバーガー機長を演じたトム・ハンクスの演技は絶妙で、主人公の人間性を感じさせる深いものです。映画の最後に事故機に乗っていた乗客と機長夫妻、副操縦士の本物が出てきて感慨深いものがありました。この人たちの命が守られて本当に良かったと思います。この映画は見て損はない。いや、見ないのは損でしょう。

 

 

 2009年1月15日にニューヨーク市のラガーディア空港発シャーロット行きのUSエアウェイの1549便が離陸まもなくバードストライクにより両方のジェットエンジンが破損して停止し、ハドソン川に不時着水するという事故がありました。このとき乗客150名・乗員5名の合計155名は全員生存し、フェリー7隻とヘリコプターにより24分で無事救助されました。客室乗務員が足に裂傷を負ったなど怪我人は出たものの、全員生存したのは奇跡といわれています。この時の機長はサレンバーガー(サリー)、副操縦士はジェフ・スカイルズでした。

 

 サレンバーガー機長は英雄と称賛されましたが、国家運輸安全委員会(NTSB)は疑惑の目を向けました。すなわち、機長は安全にラガーディア空港に戻れたのにもかかわらず、ハドソン川に着水する決断をしたことで乗客の命を危険にさらしたのではないかと疑ったのです。NTSBは事故機のエアバスA320のコンピュータの情報からコンピュータでシミュレーションをしたり、実際に操縦士を使ってラガーディア空港やテターボロ空港へ緊急着陸するシミュレーションを行いました。その結果を公聴会で示す場面がこの映画の山場となります。詳しくは映画を見てのお楽しみなのですが・・・。

 

 この映画は冒頭で低空を飛んできた1549便が市街地に墜落しビルに突っ込んで爆発炎上してしまい度肝を抜かれました。それは、サレンバーガー機長が事故後に見た悪夢だったのです。ご存知の通り、ニューヨーク市ではアメリカ同時多発テロ事件で本当の悪夢も体験しています。乗客・乗員の無事を聞いて、サリーの同僚が「飛行機がらみでいいニュースは久しぶりだ。」と言いましたが、実感がこもったセリフでした。 

 

 それにしても、パイロット歴42年のサリンバーガー機長の判断と操縦はものすごいものでした。離陸後の低い高度で両方のエンジンが停止して再点火を試してもできなかった時点で、早くもハドソン川への不時着水を決断しました。そして、ハドソン川の左側を飛んで高いGW橋の橋梁を避けました。それから舵を右に切り、推力がない機体が失速しないように、速度を保ちつつ絶妙のタイミングでフラップを下げました。着水の直前には操縦桿を少し引いて機首を上げて尾部から着水するようにしました。それでも着水時の衝撃で左エンジンが脱落してしまったわけですが・・・。

 若い管制官が「着水では生存不可能です」と言って頭を抱えて個室に引きこもっていたのですが、それが常識的な見方なのでしょう。ともかく、わずか208秒間の出来事でしたが、機長の操縦は圧巻の神業でした。客室乗務員の行動も的確でした。わずかな時間で乗客にシートベルトを締めさせました。そして機長の「衝撃に備えて」の指示が出たのちは、乗客に不時着時の姿勢を取らせ、大声で「頭を下げて姿勢を低く、身構えて。」と指示を出し続けたのでした。

 

 着水してからは機長は「避難」(Evacuate!)の指示を出しました。非常ドアが開けられ乗客の脱出が始まりました。非常口からラフトが膨らんで乗客が滑り降りました。機長は誘導するとともに乗客に「寒いですよ」と物入れからコートを出して渡す落着きぶりでした。ラフトに乗り切れない乗客は主翼の上に乗りました。中には慌てて冷たい水中に飛び込む乗客もいましたが、のちに救助されました。機長は浸水する機内で最後まで脱出していない乗客がいないかチェックしてから、最後に自分の上着と重要な荷物を持って冷静に脱出しました。

 

 着水後の救助活動もすごいものでした。ハドソン川を航行するフェリーが次から次に現場に急行しました。川に落ちた乗客はヘリが飛んで救助隊員が川に飛び込んで助けました。そして寒さに震える乗客たちは全員救助され、最後にジェフとサリーが船に乗り込んだのでした。最後までサリーは乗客全員の安否を気遣っていました。

 

 そこまでして完璧に職務を遂行したのに、NTSBの調査で厳しく調べられてサリーが気の毒でした。そんな時、サリーがしたことはニューヨークの街を走ることでした。そして、川沿いに展示してある軍用機を見て、かつて軍用機に乗って操縦系統の異常が発生したときに無事に着陸したことを思い出しました。いろいろ悩みがあるときは座して悶々としているよりは走るのがいいでしょう。サリーはマスコミや市民からは英雄と称えられる一方で、自分の決断は正しいと思いながらも乗客の命を危険にさらしたのではないかという疑念に苦しんだのです。そのせつなさと孤独さは余りあるものだったでしょう。

 一方で、サリーは妻と娘二人の家族で、副業として安全管理のコンサルタントをしていたり、所持するテナントが9ケ月空き家で銀行の不動産ローンの支払いが苦しいという家庭の事情も赤裸々に描かれていました。

 

 サリーが若者だった時代に、複葉機で練習をしたときの教官の言葉が含蓄深いのでした。いわく、「パイロットは常に学び続けろ。過ちからも学び続けろ。操縦し続けろ。もう一つ大事なのは、笑顔でいろ。(Going smile.)」 

 この映画の中で、苦悩が続いた状況でサリーは3回笑いました。最初の2回はちょっと笑いました。それはテレビの報道番組で客室乗務員の「衝撃に備えて」という言葉にひっかけて司会者がちょっと卑猥なジョークを言ったときと、たまたま入ったバーでバーテンがサリーの名前を冠したカクテルを作り、着水にひっかけた由来を話したときでした。3回目は公聴会の最後で、ジェフがもし同じ状況に再び陥ったら違う行動をとるか尋ねられて、「はい、やるなら7月に。」とジョークで返したときに心から笑ったのでした。

 

 サリー機長の座右の銘がちらっと出ていました。それは、「遅れても災難よりまし」というものでした。サリー機長は公聴会で委員から、「X」という存在、すなわちサレンジャー機長がいなければ、この奇跡は起きなかったでしょうと称賛されたときに、それは乗員、乗客、管制官、救助の人など全員の力が結集した結果だと答えました。この謙虚な人柄は素晴らしいです。

 それにしても、目標に対して力を結集することができるアメリカ人の底力はすごいものだと、つくづく感心したのでした。