映画「聖の青春」:将棋の海に潜る天才たち

原作: 大崎善生

監督: 森義隆、脚本: 向井康介

配役: 松山ケンイチ(村山聖)、東出昌大(羽生善治)、森信雄(リリー・フランキー)、竹下景子(村山トミ子)

 

 今回は、将棋棋士の村山聖を描いた「聖(さとし)の青春」という映画を見てきました。将棋に思い入れがあるので、私にはこの映画は面白かったです。対局のシーンは将棋を知らない人には二人の男が将棋盤を挟んで貧乏ゆすりをしている風に見えるかもしれません。実話を元にしたこの映画には、二人の俳優の憑かれたような名演技により、病気ものというジャンルを超えた迫力があります。

【将棋と棋士】

 将棋は二人で行う戦争の局地戦のシミュレーションゲームです。将棋は古代インドが発祥であり、世界中に類似のゲームがあります。日本将棋は相手から取った駒を自分のものとして使える特徴があります。

 職業として将棋を指すプロ棋士は、実力で選ばれた超エリートです。現在、現役の棋士はわずか164名です。将棋はプロとアマの実力差が大きくて、その点ではおそらく野球やテニスや相撲といったプロスポーツ並ではないでしょうか。将棋は頭脳の格闘技です。そして、棋士は棋譜を創造する人でもあります。

 

【村山聖】

 村山聖は1969年広島県生まれで、羽生善治の1才年長で、羽生さんのライバルだった人です。羽生さんは今は棋聖・王位・王座の三冠ですが、七つの将棋タイトルを独占していた時期がありました。私は歴代の将棋名人の中で最強なのは羽生さんだと思っています。村山の強さを評価するには羽生さんと比較するのがいいでしょう。村山の羽生さんとの対戦成績は6勝8敗(うち不戦敗1)でした。村山の強さは棋士達の中でも折り紙つきでした。棋戦の時に他会場で棋士たちが将棋盤を囲んで戦況判断や指し手検討をするのですが、終盤戦の難解な局面では「終盤は村山に聞け」と言われていたほどです。

 ただし、村山には病気がありました。村山は、小児の頃から難病のネフローゼを患っていました。村山は子供のうちから自分の命が長くないことを悟っていました。村山は将棋名人を目指して命を削って将棋を指し続けました。そして1998年に膀胱がんのため、29才で亡くなりました。

 

 当時、地方に住んでいた私のような人間にとっては、村山を知るには「将棋世界」のような雑誌を読むか、テレビでNHK杯戦を見るくらいしかありませんでした。テレビで見た村山は太っていて頬っぺたがまん丸でしたが、後でそれが病気治療のステロイドの副作用のためだと知りました。病弱な村山を師匠の森信雄は愛情を込めて世話をしたそうです。村山の訃報を知ったとき、妙に悲しかったものです。その村山が、なぜ今ここに?映画で?と思いました。

 

 ユーチューブに村山と羽生さんの最後の対局となった1997年度NHK杯決勝戦の対局がアップされていました。この将棋が映画の中の最後の対局に使われました。本局の内容は村山が羽生さんの猛攻をしのぎきって必勝かと思われたときに痛恨のミスで負けたものです。勝負にタラレバは禁物でありますが、この勝負にもし村山が勝っていれば、7勝7敗と五分の対戦成績になっていたのでした。なお、この将棋の解説の二上達也九段は羽生さんの師匠であり、今年11月に亡くなられました。

【感想】

 太っていても松山ケンイチはイケメンでした。むしろ、太っていた方がいいほどに。彼は、この映画の役作りのために20kg以上太ったそうです。そして役作りのために爪を伸ばしっぱなしにしました。この役者根性はすごいですね。村山は少女マンガが大好きで多数所有していました。本作品でも村山は少女マンガを読むのですが、その本が古びていたのは、村山の御両親から遺品を借り受けたものだからでしょうか。それと、村山が子供の時にお父さんから買ってもらった遺品の将棋のプラ駒が出てきましたが、駒の隅が欠けて円くなっていたのには、びっくりさせられました。

 東出昌大はでかい羽生さんでした。彼は羽生さんが当時かけていた眼鏡を借りて撮影に臨みました。レンズの度がそのままだったらすごい役者根性であり、ひょっとしたら羽生さんが見ていた風景が垣間見えたかもしれません。ですが、さすがにレンズ交換はしていたでしょうね。羽生さんが悶えながら考えるシーンは本物と良く似ていました。ただ、若い頃の羽生さんは「羽生のニラミ」というほどに対局者を鋭い視線で見つめたものでしたが、その描写は薄かったように思います。

 村山の師匠の森信雄を演じたリリー・フランキーはさすがでした。実際の森信雄を知らないのですが、本人もそうだったかのような、弟子思いの優しさが演技ににじみ出ていました。

 

 村山は羽生さんを倒して名人になることが目標であり、羽生さんを最大のライバルとしていましたが、羽生さんに対して恋愛感情にも似た思いを持っていました。将棋は対局相手がいなければ成立しないゲームです。映画では二日制の対局の合間に村山が羽生さんを誘って外出し、スナックでビールを飲みながら話しをするシーンがありました。趣味が少女マンガと麻雀と競馬の村山に対して羽生さんの趣味はチェスであって、趣味ではまったく共通点がありません。「僕たちは、どうして将棋を選んだんでしょうね」という村山の問いに対して羽生さんは、「わかりません、でも私はあなたに負けて死にたいくらい悔しい」と答えます。村山は「羽生さんの見ている海はみんなとは違う。」と言いました。羽生さんは「深く潜りすぎて自分でも怖くなることがあります。でも、村山さんとなら一緒に行けるかもしれない。」と答えます。村山「いつか一緒に行きましょう。」・・・・

 天才同志が将棋を通じてお互いを深く理解しました。ここでの「海」とは果てしない将棋の海でしょう。そして、羽生さんが見ている海、村山が見ていた海を凡人は見ることが叶わない。そういう意味でこの映画から一種の絶望感を覚えました。

 

 村山は膀胱がんの手術をした後で長い髪や爪を切り、改心したようになりました。そして、今まで出さなかった日本将棋連盟の棋士プロフィールのアンケートに回答を寄せました。それが面白いです。

 コンピュータが将棋で人に勝つ日は来ないと、村山は書きましたが今では人工頭脳がプロ棋士に勝つ時代です。

 また、「もし神様が一つ願いをかなえてくれるとしたら」という問いには「神様除去」と答えていました。この発想には、村山の天才ぶりを感じました。あまりにシンプルな答えなので、反って想像が増します。映画に「将棋の神様」という言葉が出てきましたので、村山は神様を意識はしていたと思います。この回答は機知に富んだ単なる毒舌なのかもしれませんし、相手の将棋の神様を取って自分の手駒に使うような事を考えたのかもしれませんし、自分の体がどうにもならないので神の無力に対して怒っているのかもしれません。神も大宇宙の創造神から小さな神まで、正統な神から怪しい神までいろいろです。どのレベルの神を除去したいのでしょうか。うまく神を除去できれば、世界から宗教的対立がなくなるかもしれませんし・・・。村山は私に面白い妄想のネタを作ってくれました。