映画「海賊とよばれた男」:演出にだまされるな

原作: 百田直樹

監督・脚本・VFX: 山崎貴

出演: 岡田准一、吉岡秀隆、染谷将太、鈴木亮平、野間口徹、ピエール瀧、綾瀬はるか、堤真一、小林薫、近藤正臣、他

 

 一代で民族系石油会社を築いた國岡鐵造の生涯を描いた映画で、出光興産の出光佐三の実話を元にしています。主人公の國岡鐵造を20代から90代まで演じた岡田准一は熱演したと思います。この雄大で感動的な映画は家のテレビで家族と一緒にチマチマ見るものではありません。映画館の大スクリーンで一人でひっそりと見るべきものです。上映時間は長いですが、次々に起こるエピソードを見ていて飽きることはありません。

 【あらすじ】

 この映画は、戦前に現・神戸大を出た國岡鐵造が資産家から別荘を売った大金の提供を受け、これ元手に石油販売会社・國岡商店を起業するところから始まります。当初國岡は織物機械の機械油を扱っていましたたが新参であり、賄賂を断ったため商売がうまくいかず廃業の危機に陥ります。國岡は漁船の燃料の軽油を海上で売る商売を始め、それが軌道に乗ります。従業員を家族同然と扱い一体感を持った経営で國岡商店は伸びていきました。途中で國岡の最初の結婚のエピソードが挿入されます。國岡は満州鉄道(満鉄)に機械油を売り込みに行き、冬の満州の低温下で凍らない製品を開発し、石油メジャーの製品を凌ぐことに成功しました。最初の妻は子供ができなかったことを苦にして身を引き、國岡は離婚しました。その後、國岡は再婚し三人の子供をもうけました。太平洋戦争が勃発し、國岡商店は販売する石油がなく、店員たち(社員)は兵隊にとられ、頼りにしていた部下が戦死するなど苦境が続きました。また、石油配給統制会社(石統)から締め出される苦労もありました。終戦直後はGHQの意向を受けたラジオ修理の事業をするなどで経営をつなぎました。また、敗戦国日本に石油輸入を認める前に旧日本軍の石油タンクに残っている石油を使い切れというGHQの無理難題の事業を受注し、復員してきた店員達はポンプが使えぬタンクの底に入り、石油と雨水と泥とでヘドロ状になった油を頑張って人力で汲み出しました。戦後になって國岡商店は石油取引を再開し伸びていきましたが、石油メジャーとの合弁事業化を断ったために石油メジャーから敵視されることになりました。國岡商店は自前のタンカー「日承丸」を建造して米国から石油を輸入しましたが、メジャーの妨害により國岡商店は次々と取引を断られていきました。どこからも石油を売ってもらえなくなり追いつめられた國岡は大ばくちに出ます。それは、日承丸をイランに派遣しイランから直接原油を買いつけることでした。イランは当時石油販売を独占していた英国に反発し、石油会社を国営化したことで英国の怒りを買い、国外に石油を売れずに困っていました。社運を託された「日承丸」は万感の思いを込めて見送られて出港していきました・・・。

 

【感想】

 この映画は実話を元にしていますが、当然虚構というか演出があり、不自然な点があります。感動的な映画ではあるのですが、描かれたことすべてを感情でうのみにすると、もっていかれる危険性があります。そこで、疑問点をいくつか挙げておきます。

 

 冒頭のシーンです。戦時中の日本。夜に飛行する爆撃機B29の銀色に光る胴体から爆弾が投下されると、それが空中で沢山の細長い筒に分かれ、点火されて、東京(?)の密集する木造の民家に降り注ぎ火の手が上がります。焼夷弾による空襲です。人々の悲鳴が聞こえ、逃げ惑う様子が遠景で写されます。日本人にとって悪夢のシーンです。場面は変わり、(厚木?)飛行場のシーンが映ります。双発の夜間戦闘機「月光」が並んでいますが、燃料の供給不足のため飛び立てる機体が二機しかありません。四人があわただしく乗り込んで迎撃に向かいます。すると突然背後より銃撃を受けて二機ともあえなく撃墜されてしまいました。場面は変わり、炎上する街並みを遠くで茫然と眺め、悔しがる國岡鐵造の姿が写ります。前の戦争では石油供給を締められて日本は開戦し敗れました。冒頭は、そのことを象徴したシーンといえましょう。

 

 米国の戦闘機や爆撃機はターボエンジンを搭載していて、空気が希薄な高高度での飛行が可能でした。それに対して日本にはターボの技術がなく高高度での戦闘機の迎撃は困難でした。戦略爆撃機による本土空襲は当初、高高度からの爆撃が行われましたが、爆撃の精度が上がらないことにより、中高度からの夜間爆撃に移行しました。そのあたりの時期が冒頭のシーンでしょう。夜間に爆撃をする意図は夜間の空中戦が難しいからでした。ですが、日本軍の夜間戦闘機「月光」がB29を何機も撃墜する戦果を上げたことで米軍は戦術を転換して、昼間の中低高度からの爆撃に切り替えました。すなわち、日本軍の戦闘機が迎撃してきたら、性能に優れる米軍の護衛戦闘機で立ち向かうようにしました。そうなると、運動性能が落ちる「月光」は米軍機の敵ではなく、「月光」が昼間の防空に使われることはなくなりました。そういった背景をまず理解しておきます。

 まず、空襲警報発令後の話ですが、空襲警報が出されるといち早く戦闘機が迎撃に向います。そこで敵機を撃墜できなかった場合に爆撃が実行されます。なので、爆撃と迎撃の順番が逆だと思います。また、市民は空襲警報が出されると防空壕に避難して住宅密集地帯には残らないはずです。さらに、補給を絶たれた南方の島ならいざ知らず、空襲の中期にあって首都防衛にかかる航空機の燃料がないってどういうことなのでしょうか。巨大戦艦の燃料が足りないならまだしも、船の燃料と比べたら航空機の燃料などわずかなものでしょう。それも地方の基地ならまだしも、首都防衛ですよっ。

 また、夜間戦闘で「月光」があんなに簡単にやられるでしょうか。確かにレーダーの圧倒的な差はあったでしょうが、空中戦は目視で行われました。「月光」は最高速度はそれなりに高いですし、搭乗員が2名なので、一人が後方を注意するでしょうし。昼間ならともかく、夜間にむざむざやられたとは考えにくいです。

  

 國岡の部下は軍に協力して南方油田の開発に従事しました。その彼が乗った陸軍の輸送機が米軍機(グラマン)に襲われて撃墜されてしまいました。その際、部下は機銃弾に腹を撃ち抜かれたのですが、シャツに数センチの血痕が出るだけで、まるで自分が撃たれたことが不思議な様子でした。機銃弾が人に命中したら、普通は即死かもっと苦しがるでしょうに。

 

 終戦後に國岡商店の従業員たちが戦地から復員してきます。そこで焼野原になった東京の街の一角に焼け残った國岡商店の社屋を見つけて狂喜する場面があります。社屋が鉄筋コンクリート造りだから焼け残ったという設定なのでしょうが、周り全部ががれきと灰になっているのに建物密集地帯で一棟だけ残っているのはいかにも不自然です。周りが全焼したら、隣接する建物の外壁は残っても窓ガラスが割れ、建物内部の可燃物に着火して内部が燃えるでしょう。

 

 國岡商店所有の石油タンカー「日承丸」がイランで原油を積んで日本に帰港する話があります。当時英国はイランを経済封鎖し、他国の原油取引を認めていませんでした。「日承丸」が帰途に海峡を通過しようとしたときに英国のフリゲート艦が前方より来て停船命令を出したのに対して、「日承丸」船長は反論し、何かあったら国際世論に訴えると打電しました。軍艦とタンカーは正面衝突すれすれですれ違い、その後軍艦は追ってきませんでした。タンカーの船長の勇気を示した感動的なシーンでした。ですが、もし私がフリゲート艦の艦長だったならば、原油満載のタンカーに正面から突っ込むなどという危険な操船はしないでしょう。どうしてもタンカーを停めさせたければ、進路を反転させてタンカーと並進して停船命令を出し、必要があれば警告射撃をします。日本海で不審船に対して海上保安庁がやったやり方ですね。そうすれば、船足が遅いタンカーは軍艦から逃れるすべはありません。もっとも公海上で米国の意向を気にした状態でそこまでやるかは政治判断が加わり微妙です。

 史実では出光の「日章丸」は日本に帰港後に英国から原油差し押さえの訴訟を起こされ、裁判の結果出光側が勝訴しました。映画ではこの裁判については一切描かれていません。

 

 というわけで、ツッコミどころはいろいろありますが、これだけスケールが大きな映画はそうそうあるものではなく、一見の価値が十分ある大作だと思います。

 

 蛇足ですが、私は予備校生時代、東京都内に下宿していました。その時の大家さんが満鉄の元運転士でした。当時の満鉄は花形の会社で給料は高かったそうです。なかでも運転士はエリートで、運転士になるには目隠しをして蒸気機関車を運転する試験があったそうです。当時すでにご高齢だった大家さんはもう他界されていることでしょう。合掌。

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コメント: 2
  • #1

    Tommy (木曜日, 14 9月 2017 20:07)

    はじめまして、茨城県龍ケ崎市在住の冨山ともうします。
    記事、楽しく読ませていただきました。
    いくつか気になった点がありましたので、コメントさせていただきます。

    「爆撃と迎撃の順番が逆」についてですが、警報が出されてすぐに離陸、迎撃ポイントで敵機が来るのを待ち構える訳ですが、当時の日本機はレーダーを搭載してませんの、夜間の接敵はたいへん難しいものがありました。地上の指揮所から、ある程度までは誘導してもらえますが、夜間低空爆撃の場合は少数機の編隊で時間差をつけて目標上空に侵入してくるので、補足するのは至難の業でした。結果、爆撃中にサーチライトに捉えられたり、地上の炎に照らされたりした敵機を捕捉、攻撃することになっていたようです。

    次に「防空壕に避難して住宅密集地帯には残らないはず」ですが、これも、当時の状況をイメージしていただくと納得できると思います。まず、防空壕自体が一時しのぎのものでしかなく、焼夷弾による広範囲な火災に対応できるものではありませんでした。一時非難しても、火災によって炙りだされ逃げ回ることになります。また、夜間低空爆撃は上でも書いたように、少数編隊が数十波で焼夷弾を落としていきますので、はじめの空襲された地域の方が非難した先で、また、焼夷弾の雨を浴びるような状況も発生してたはずかと。

    こちらに、東京大空襲を体験された方の体験談がありますので、参考にされてください。http://www.sakado-gr.org/sensou-taiken/taiken/40.htm

    「燃料不足で出撃できない」、「月光が簡単に撃墜される」に関しては、同じく違和感を覚えました。過剰な演出は、誤解を産むだけなので止めてほしいのもです。

    以上です。

    冨山洋治

  • #2

    ある たいる (木曜日, 14 9月 2017 21:51)

    冨山様

    詳細なコメントをお寄せいただき、誠にありがとうございました。

    夜間の空襲では、敵機の補足は目視が利かないので確かに難しかったでしょう。レーダーと聴音機の不足により空襲の探知が後手に回ることも多かったのかもしれません。
    wikipediaによれば、戦時中に防空法改正により退去禁止と消火義務が定められ、防空壕については1940年には庭や空き地に堅固なものを作るよう指示していたのが、1942年に床下に簡易なものを設置するように指示が変わったそうです。とすれば、家の床下に避難していた人が家に火がついてから出てくるのは自然ですね。ご指摘の東京大空襲の体験談でも焼夷弾が落ちて来て家が燃えるのを市民が目撃していました。とすれば、映画のシーンは違和感がないものなのですね。
    ご指摘いただき御礼申し上げます。