映画「本能寺ホテル」:タイムスリップで歴史は変えられるのか

監督:鈴木雅之、脚本:相沢知子

配役:綾瀬はるか(倉本繭子)、堤真一(織田信長)、濱田岳(森蘭丸)、平山浩行(吉岡恭一)、高嶋政宏(明智光秀)、風間杜夫(本能寺ホテル支配人)、近藤正臣(吉岡征次郎)

  若い女性が織田信長の時代にタイムスリップしたという映画です。現代人の主人公・倉本繭子が本能寺ホテルのエレベーターに入ったら、そこが戦国時代の本能寺とつながっていました。繭子は小姓の森蘭丸を通じて信長と親しくなり、本能寺の変の前日に明智光秀の謀反を知らせて信長を助けようとしましたが、歴史は変わりませんでした。

 信長のタイムスリップものはよく見かけます。信長は新しもの好きで、宣教師に話を聞いたり、黒人の弥助を家臣にしたりしました。信長ならばエキセントリックな未来人も自然に受け入れると思われています。

 この映画は、京都が良く描かれていました。テンポ、カメラワーク、音楽が良く、普通に楽しめる映画でした。ひねった展開を期待していた人には物足りないかもしれません。綾瀬はるか、堤真一が役柄によく合っていました。森蘭丸を演じた濱田岳は、愛嬌がある蘭丸で、これはこれで良かったと思います。

 

 さて、前日に謀反を知らされたとして軍勢を持たない信長にいったい何ができたでしょうか。三方を山に囲まれた京都の町にあって、明智光秀の軍勢が南方の平地を押さえていては脱出困難です。これは「是非もなし」という状況であり、信長にできるせめてもの事は光秀に首を取られないことくらいでしょう。首を取られなければ信長生存説が出る余地があり、諸大名に光秀に味方するか躊躇させる効果が期待できます。歴史は必然によってある結末に収束していくと思われます。仮に未来人が過去の歴史を変えられるとしても、そのためにはかなり大がかりな干渉が必要になるのではないでしょうか。

 

 最後に鴨川の流れを眺めている繭子の隣りに信長がやってきて座るシーンがありました。当然、信長の霊というか幻です。ひねった結末にしてそのシーンを生かすには、本能寺で自害して遺体が消失したと思われていた信長が、実は本能寺ホテルのエレベーターから現代に脱出してきていたという筋が考えられます。(それがいいかは別ですが) 死んだと思われる時点で過去から一方通行で未来に人がタイムスリップする分にはタイムパラドックスは生じないと思われるのですが。

 

 信長は延暦寺を焼き討ちにしました。その炎が比叡山の峰を焦がす様子を京都の人は見ていたはずです。このようなカルマは信長自らが寺で死んで焼けることで相殺する必要があったのでしょう。不思議なことに信長は平将門と違って死後に怨霊にはなっていないのですね。人生わずか五十年、下天の事は夢・幻という人生感により、天下統一が夢に終わった時点で信長本人は恨みの念や生への執着が薄かったのかもしれません。

 

 主人公の繭子は自分が何をやりたいかはっきりせず、結婚も及び腰という感じでした。その繭子が信長や婚約者の父との交流を通じて自分がやりたいことがわかっていくという筋もありました。私にとっては、やりたいことがない、はっきりしないというのは不思議なことです。人はやりたいことがあるのに、健康や能力、時間、金、協力者、などがなくてできないことが多いと思います。また、やりたいことがありすぎてどれもやりたくて困るとか、やりたくないことをやらざるを得なくていやだ、とかもあると思います。繭子のような悩みは一般的なのでしょうか。