崇道神社に参拝① 最も誤解されている神社

 京都の高野にある崇道神社(すどうじんじゃ)に初めて参拝したのは、5年前の2012年1月20日の午後の事でした。この日の京都は雨でした。タクシーで行ったのですが、行き先を告げたとたんタクシーの運転手が無言になってしまいました。

 

 この神社は京都一恐い神社と言われています。なぜなら、御霊(ごりょう)神社であるからです。御霊様とは怨霊のことです。

 崇道神社の御祭神は早良親王です。早良親王(750?-785)は光仁天皇の皇子であり、平安京に遷都した桓武天皇の弟です。早良親王は出家して東大寺や大安寺で修行されましたが、後に還俗し皇太子になられました。桓武天皇が長岡京を造営していた時に責任者の藤原種継が暗殺された事件がありました。早良親王はこの事件の黒幕として捕らえられ、乙訓寺に幽閉されました。親王は無実を訴え絶食し、淡路島に流される途中で憤死しました。その後、桓武天皇の家族が次々と不審な死を迎えました。その原因が早良親王の祟りとされたため、桓武天皇は鎮魂のために早良親王に崇道天皇と追号を与え、神として祀ったのでした。京都の上御霊神社にも崇道天皇は合祀されていますが、崇道神社は崇道天皇のみをお祀りした神社です。

  

 私はそのころ自分の先祖の因縁を浄化することに努めていました。そして、先祖を延々とたどっていったら平安時代以前の桓武天皇の治世までさかのぼってしまったのでした。そんな関係で、崇道神社に畏れながら参拝したわけです。

 日没までまだ二時間くらいあったでしょうか。その時、雨は止んでいました。神社の境内で誰にも会いませんでした。参道の周囲には木がうっそうと茂っています。鳥居の注連縄から下がった紙垂のうちの一つだけが風もないのに揺れていたのが不思議でした。

 この神社は神職が常時いるわけではなくて、無人でした。階段を上がって拝殿に近づきます。誰も上がって来る気配はありません。そして、拝礼を終わってから私は御祭神に肝心の質問をしました。

 「今でも祟っていらっしゃるのですか。」

 

 すると答えが返ってきました。「われは恨みを返してここに鎮まっておる。」

 私はそれを聞いてすごく安心しました。

 御祭神は「民が恐がって近寄って来ぬ」のを憂いていらっしゃいました。

 御祭神からは凛として太くて深みがある気と、ものすごいパワーを感じました。

 

 世の中で崇道神社ほど誤解されている神社はありません。恐いもの見たさで興味本位でここに行く人がいますが、大変失礼なことです。霊力が強くて素晴らしい御祭神がいらっしゃる神社です。御祭神に礼を尽くしてお参りすれば、必ずや力になって下さることでしょう。

 

 ここまでが、最初の参拝の話です。その時は必死で、写真を撮る余裕はありませんでした。

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