刹那、現在・過去・未来

只今に生きるとか、瞬間・瞬間を生きるとかいうのですが、それって刹那主義ではないでしょうか。

只今という瞬間を最高に生きることができるのは意識レベルが高くて元気な時なのではないでしょうか。疲れて意識が混濁しているときにも全力で生きていると言えますか?

また、只今や刹那の長さってどれだけなのでしょうか?

私がそんなひねくれた事を考えるのは、人生においてその一瞬だけ最高に生きても、大抵の事は一発では決まらないからです。

本番で一生懸命頑張っても結果が出ない事があります。

すなわち、大抵の場合、本番で良い結果を出すには周到に準備する事が大切だからです。

また、良い結果を次にも続けるには、物事を本番後にやりっぱなしではなく、後始末を十分に行うことも重要です。

物事には準備・実行・後始末があります。

物事に一貫して対応するには、行き当たりばったりでは困難です。

それには、物事を企画し、実現させる意欲を持ちつづけ、本番で力を発揮し、結果をまとめて次につなげるという一連の流れが重要です。

その流れをもたらすのは何でしょうか。

瞬間・瞬間を束ねて一連の出来事に統一性をもたらすのは人の意識です。

この場合の人の意識を人の持続的な意志、希望、抱負などと言い換えてもいいでしょう。

このような一連の出来事を統一する意識がある場合に、「現在」は刹那よりも長い時間に伸びるのではないでしょうか。

 

時間は過去から現在、未来へと一方通行で流れていると思われています。

ですが、未来が現在に影響を及ぼすことがあるでしょう。

例えば、未来にあるイベントを行うことを決めたとします。

すると、そのイベントの準備のために、現在何をすべきかが決まっていきます。

その場合は未来が現在を決めているといえるのではないでしょうか。

 

怨念霊が憑いた人を除霊するときに、その人が生まれてくる以前の過去から存在する怨念を浄化しなければならないことが多いです。

そのような体験から、前世や過去世があると信じざるを得ません。

前世があるとすれば、来世もあると考えるのが自然です。

来世にまた人間に生まれてくるかどうかわかりませんが、来世はきっとあるでしょう。

来世がないと考えるか、あると考えるかで現世の生き方が変わるでしょう。

来世がないならば、人生は死ねば終わりであって、好き勝手に生きようと思いたくなるでしょう。

来世があるならば、今生は来世へと続く人生であり、本番であって来世への準備でもあるでしょう。

来世にやりたい事があるならば、それが今生でなすべき事を決めるかもしれません。

意識によって現在・過去・未来が統一されていくように思います。